夜風レコード〜窓を叩くノイズ

http://profile.hatena.ne.jp/yokazerecord/

柴又フォーク村♪

1983年の夏、「ぴあ」のライブ情報欄で「柴又フォーク村」というサークルの「かきくけコンサート」というのをみつけた。会場が当時住んでいた小岩で、しかも100円という入場料に目が止まり、その日会場である小岩駅南口の商店街にある「音曲堂」というレコード屋の3Fイベントホールに足を運んだ。
初めて体験するアマチュア音楽サークルのライブは、歌の内容よりも(フォークなんて拓郎くらいしか知らなかったし)、ステージのなんともいえないユニークでホッとする雰囲気(身内感?)がとても印象に残って、ライブが終わって後片付けをしている人に、僕は思わず「仲間に入りたいんですけど」と言ってしまっていた。その人が代表の人を呼んでくれて、「じゃあ、これから打ち上げがあるけど来る?」と誘ってもらい、そのままついて行った。


福岡から上京してきて数ヶ月。初めての東京で、初めての一人暮らし。専門学校(週に2回)とアルバイトの毎日の隙間に、いつも「なにか」を探しては、「ぴあ」や「シティロード」のページをめくり、映画のオールナイト上映会やら大学の自主制作映画やら所ジョージの月1ライブなんかをチェックして、ときどきは出かけて行った。4畳半一間+流し付き(トイレは共同)のアパートで、ギターをつま弾いては大家にうるさがられていた。

何にしても消極的で引っ込み思案だった僕が、渋る親を説得し、上京して一人で生活をするなんて、どこにそんなエネルギーがあったのかと今になって思う。「東京でアニメーションがやりたい」という「口実」で、とにかく福岡を出て東京に行きたかった。そして「出た」からには「引っ込んでいる」わけにもいかないと、半ば「開き直り」つつも心臓をバクバクさせながら、少しずつ声を出していった。


打ち上げは「養老の滝」の座敷で、かなりの人数がいた気がする。もちろん「よそ者」は自分一人だけで、どうして居場所があったのか?と思う。きっと親切にかまってくれた人がいたんだろう(誰だったのか?)。いきなり打ち上げにやってきた見ず知らずの人間に、興味を抱いてくれたのもあったんだろう。
ギターを弾き、歌い、呑み、騒ぐ様子は、まるでライブのアンコールのように。そしてライブ以上に盛り上がって、「よそ者」の僕はだんだん飲み込まれていく。そのうちギターが自分に回ってきた。人前で歌うなんて経験のないことに、やっぱり心臓をバクバクさせながらも「所ジョージ」の歌とオリジナル曲(扇風機・恥ずかしー)を(きっと小声で)歌った。シーンとしたかもしれない。いやおそらくシーンとなった。でもなんか面白がってくれて、次の集まりにも誘ってもらったのだと思う。


今思えば、そのとき僕は自分のオリジナル曲を書き留めたノートを持って行っていた。ということはライブを見る前から「予感」があったのかもしれない。そしてライブの後、このサークルならば。このサークルに「居たい」と思ったのだ。
そうして出会った「柴又フォーク村」が、その半年後、専門学校が終わっても東京に「居続ける」理由になっていた。
フォークなんて拓郎くらいしか知らなかったのに。


つづ……かない♪